チコが家に来た時は、こんなに長い付き合いになるなんて想像もできなかった。
だって、どう贔屓目に見ても虫の息だったから。
雨の日に友達が駐車場から連れてきたチコは濡れぼそっていて、骨と皮だけで、お腹の毛が斑にしか残ってなかった。喉が潰れているらしく、鳴き声を上げても空気の洩れるような音しかしない。
既に1匹捨て猫を飼っていたこともあり、チコを連れてきた友達は「ウチなら飼ってくれるかも?」と思って連れてきたのだろう。
その時ボクは断った。
チコはやっと目が開いたくらいの、本来なら可愛らしいと思う子猫だったけど、当時のボクは目の前のチコを日頃可愛らしいと感じてる子猫と同じには見れていなかった。
今まさに息絶えようとしている生物。
今になってあの時の感情を言葉にしてみると、だいたいこんな感じになるだろうか。
放っておけなかったからこそ、ウチにチコを連れてきた友達は、あてが外れてさぞ困ったのだろう。友達はボクが少し目を離した間にチコを置いて帰ってしまった。
チコを動物病院に連れて行くと、何者かに虐待されていたことが折られた肋骨と、既に光が奪われた片方の瞳と、薬品をかけられてただれたお腹の傷から分かった。
瞳は煙草か線香のような高熱のものを押し付けられたのだろう、猫同士のケンカではこのような傷は絶対負わない。と、獣医は言った。
手のひらに載せることができる程の子猫が、喉を潰され、肋骨を折られ、お腹を薬品で焼かれ、瞳を潰される恐怖とはどんなものだろうか。
もしも犯人が分かるなら、チコにしたことと全く同じ目に遭わせてやりたいと、子どもながらに思った。その気持ちは20年経った今でも変わらない。
結果的にチコは数回の病院通いで、命に別状はない程に回復した。
性別もメスだと分かり、ボクがつけた「チコ」という名で我が家の新たな家族となることが決まった。
チコはそれまで飼っていた猫ともうまくやり、今までの不幸を取り返すかのようにすくすくと育ったが、人になつくことはなかった。無理矢理捕まえない限り絶対身体に触らせなかったし、エサを与えても人間がそこを立ち去るまで決して食べなかった。
それは、チコの受けた心の傷を考えると当然のことのように思えた。
数年が経ち、ウチに新しい捨て猫が来た。他にも何匹もの捨て猫がうちに集まってきていた。
チコはその子猫達を母親のように育てた。
この頃になると、チコは唯一身体を触らせる父の部屋をテリトリーにするようになる。
それまで飼っていた猫や、他の子猫はボクに良くなついていたので、父は自分になついたチコをとても可愛がった。
また数年が経ち、家を引っ越すことになった。最大5匹いた猫たちも、チコ1匹だけになっていた。
引っ越し場所を決めるのは時間がかかった。なぜなら、賃貸でチコを飼っていいところを探さなければいけなかったからだ。
「チコは声がほとんど出ない(それでもほんのわずかだけは出るようになっていた)から、うるさくない」と、父が不動産屋に何度も説明した。
数年で2度ほど引っ越した頃には、チコもすっかりおばあさんになっていた。ウチに来た時の状態からは想像もつかない姿。
ボクが所帯を持って家を出ると、チコと父はそれまでよりもさらに寄添って生きているように見えた。
そんな穏やかな生活を送っていたチコに異変が起こった。病院に連れて行くと、老年からくるてんかんだという診断を受けた。
チコを失った時の父の落胆ぶりを想像すると、寿命という一言では納得できなかったが、チコは日に日に弱り、ソファに飛び乗ることもできなくなっていた。
そんな時、ツマが人懐っこい子猫を拾ってくる。
ボクはこの猫を父に飼うよう勧めてみた。
父は逡巡しながらも、その子猫を飼うことにした。子猫は父がモモと名付けた。
チコはまた子育てをするようになる。すると、すくすくと育つモモに引き上げられるようにして、チコは元気を取り戻していった。嬉しい誤算に父もボクも喜ぶ。
モモが大きくなり、チコの手を煩わせないようになると、チコの病気は再発した。
てんかんの発作に加え、夜中じゅう家の中を徘徊した。もう、滑るフローリングの床では歩くこともままならないというのに。
それからというもの、父は日毎に変わるチコの状態に一喜一憂しながら毎日3回弱々しく嫌がるチコに謝りながら薬を飲ませている。
発作がひどいときは眠るのもままならないそうだ。
前に父は「夜中にこいつにもう死ねって言ったんだよ」と、苦しそうにボクに漏らした。そのあと「でも、ずっと連れ添った仲だからな」と、付け加えた。
20年連れ添ったチコと父。通じ合う者同士、どちらも離れがたいのだろう。
チコは今日も生きて、薬を嫌がりながらも晩酌する父の隣で眠っている。
それがいつまで続くのか分からないけど、チコと父の幸せな時間は確実に昨日もあり、今日もある。
きっと、明日も明後日もあるのだろうと思う。