2005年08月12日

無意味の意味

私は来週に撤去されるらしい。

其の娘は私が好きだったのだろうと思う。
娘は日がな一日私と戯れていた。
酷い時など私に乗ったまま昼食を済ますことさえ在った。

娘は私を高く、高く漕いだ。其れこそ一回転してしまうのではないかと、周囲の者が肝を冷やす程高く漕いだ。高く漕がれると私の視界は大きく拓けた。私は拓かれた視界に色々な者を捕らえた。
人、木、噴水、鳥、雲、空、山、銭湯の煙突。
アドバルーンなる物も其の中に含まれていた様に思う。
高く漕ぎ上げられる喜びを知った私は、何時しか誰よりも高く、長く漕ぐ其の娘が来るのを心待ちにする様になった。

娘は私を漕ぐ時によくこんな唄を口ずさんだ。

そんな幸福な日々も季節は巡るらしく、私の頭上にまで枝を伸ばす桜が幾度か花弁を散らすと、娘は人並みに大きく成り、私も其れなりに古ぼけて行った。しかし娘は私の元を訪れ続けた。以前の様に一日中という訳ではなかったが、毎日の様に私を漕ぎ、そしてあの童歌を口ずさんだ。
ある晩、娘がふいに顔を出した。
先程あがった雨で娘の目は湿っていたが、不思議と長い髪などは濡れていなかった。
娘が未だ乾いていない私に腰を降ろすものだから私はやきもきしたが、娘が私を高く漕ぎ、震える声で童歌を唄うと、そんな事はもうどうでも良くなった。
娘が高く漕ぐことで私は生き、娘が唄うことで私は其の意味を見い出した。

娘は又大きく成り、私の元に訪れたと思うと其のまま素通りする日々が続いた。
私は其れで良いと考えた。娘は去り、又別の娘が現れる。そして又幸福な日々が訪れる。

進んで戻って又進む。

私と同じだ。
其れで良い。

しかし娘は又私の元に現れた。
娘が私に腰掛ける。私の幸福は又戻って来たのだ。
しかし娘は私を漕ごうとはしなかった。
娘は右手を耳に当てて怒鳴っている。
私は童歌を唄って欲しくて何度も念じた。

やがて娘は喚くのを止め、私を漕ぎ、何時かの様に震える声で唄った。

其れを最後に、娘は私を漕ぐことはなかった。
あれは娘の別れの挨拶だったのだろうか。
私を漕ぐ者は殆どいなくなった。

夜中に成ると若者達が腰掛けるが、彼等は皆漕がないし、唄わない。
例え唄ったとしても、あの煙臭い息では私の幸福は訪れないだろう。

漕がれない私と唄わない彼等。

其の二者に何の意味が在るのだろう。
無意味な者が存在する意味とは何だろう。
やはり其れも無意味なのだろうか。
無意味が無意味を生み出し、やがて世界は無意味に覆い尽くされてしまうのだろうか。

隣の同僚が事故を起こした。
子ども三人が一度に同僚に乗り、止め金が外れたのだ。

乗っていた子どもの一人が怪我をした。
片方の止め金だけでだらしなくぶら下がっている同僚は、何も言わず唯ぶら下がっていた。

翌日私と同僚の周りには黄と黒のロープが張り巡らされた。

来週私たちは撤去されるらしい。

本来なら、悲しみや恐怖を感じる処かも知れないが、別段思う事はなかった。
同僚もそう思っているらしかった。

唯一つ。
唯一つだけ望むなら、もう一度あの娘に私を漕い欲しかった。
あの童歌を聞きたかった。
無意味な願いだ。
娘の姿が消えてから時間が余りにも経ち過ぎている。
娘はもういない。
第一、此の無意味な私が望むなら、其の思いも又無意味だ。
無意味を量産して此の世の意味が亡くなる時を早めるだけだ。

望みも願いも存在も。意味などない。此の思考さえも無だ。

好く晴れた日。
桜の蕾が其の膨らみを大きくしていたが、私はもう、何も考えなくなっていた。

もうすぐ私は完全な無となる。

「ひとこぎぶたさんこぎこいで」

「ひとこぎふたこぎさんこいで。よ。」

え?あの唄は。

「なんでひもがくっついてるの?」

「きっとなくなっちゃうのね」

「のりたーい」

「本当は駄目なんだけど」

「のりたいー」

「少しだけよ。さ、かあさんが押さえててあげる」

何時かの娘と相似形の少女は、母に支えられて私に腰を下ろす。

「かあさん、いっしょうたおう」

「いいよ。せーの」


ひとこぎふたこぎさんこいで
まだまだとおいおてんとさん

よこぎごこぎむつこいで
じきにまいろうおてんとさん

ななこぎやこぎきゅうこいで
おてんとさんはまっかっか

きいろいおつきさんとおこいで
おてんとさんはどこいった

うさぎにきいてもわからない
ふくろにきいてもわからない

かえろやかえろばんごはん

またあした


進んで戻ってまた戻る。

嗚呼。

嗚呼、そうか。

無意味なこの繰り返しの中に無意味をこじ開ける鍵があるんだ。

私の幸福は此処に在る。

其の先に在るものが、例え意味のないものだとしても。

posted by なりっと at 00:15| 東京 🌁| Comment(8) | TrackBack(0) | たまには昔の話を | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
うまく言えないですけれど、
うん、
良かった、です。
Posted by secondarycolor at 2005年08月12日 01:34
いいですね。
公園のブランコを無邪気に漕いだ日あの頃を思い出すようです。
ああ、いまでは、どうなってるか、なんって、判らないのですが。
また、そのブランコを分身のような存在が漕ぐ。
繰り返す事がココにあるのですね。
まさに、イって戻るブランコです。
すすむ事だけに意味を見出すだけではいけないのでしょう。
きっと。
Posted by at 2005年08月12日 11:40
うーん 素適ですね...
このわらべ歌は聞いたことがありませんが。
Posted by ririko at 2005年08月12日 19:08
高く、高く。もっと高く・・・あの頃の気持ちを思い出しました。
大人になって座ってみると、びっくりするくらい低いんですよね(^^
Posted by e--mi at 2005年08月14日 12:40
>secondarycolorさん
ボクが書いた文が琴線に触れるようなことがあったなら、それが一番嬉しいです。
Posted by なりっと at 2005年08月16日 00:16
>鰹さん
うわ、まじめコメントではないですか。どうしたのですか。
と、型通りのコメントは置いといて。

意味って、事象そのものに付随しているものではなくて、
その事象に接する対象との関わりに於いて発揮されるものなのだと思うのです。
当たり前なような気もしますが。

価値と意味を混同してるかもしれません。
Posted by なりっと at 2005年08月16日 00:16
>りりこさん
ありがとうございます。
わらべ歌はボクの創作です。
Posted by なりっと at 2005年08月16日 00:17
>えーみさん
ボクは高所恐怖症ぎみなので、未だに高く漕げません。想像するだけでおしりがむずむずします。
Posted by なりっと at 2005年08月16日 00:17

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